きらきらさらら

☆日常の出来事を思ったままに☆

ぐちゃぐちゃ

これもぐちゃぐちゃ

ブログを書き始めて2ヵ月半過ぎましたぁ〜(*^^)v 実際ここまで毎日更新できるとは思ってなかったんですが・・・(たまにはズルすることもありましたが・・・)
そもそもブログを書き始めたのは、思ってることを言いたくても言えない時に、そのことを書こうかな?って思ったのが最初だったかな。
でも、書き始めると日々あった事や、感じたことを書いてたんですよね。それはそれで良いんだけど。今日は「あった事」じゃなくて、「言いたくても、いまだに直接言えないこと」を書いてみようかな。


私って、あんまり人を嫌いになったりとか、喧嘩して二度と話さないってことはほとんどないんです。どんなことがあっても、結構良い所を見つけたり、その人との良い時のことを思い出したりするんですよ。だから人嫌いになったことがなんです。確かに付き合い方は変わる時もあるけれど、言いたいことは言うけど、根に持たないタイプなんですよ。それはそれ、これはこれって。一番は人情にもろいってことなんですけど。
そんな私に、どーしても理解出来ない人達がいるんです。
その人達は「自分の言いたいことを言うだけ」なんです。要は相手の言い分を全く聞かず、理解せず、感情の赴くままだけで物事を話し、常に自分たちは正しいということが前提なんです。


例えば・・・
「事実をきちんと理解せず、冷静さを失ってしまい誤解や憶測で相手に不快感を持ち、最終的には感情を抑えられず人を殺し、冷静さを取り戻すとひたすら悔いて謝る」
これってどう思います?


世間一般的にいえば、人を殺めたことはどんなに悔いて謝ったとしても許されることじゃないですよね。殺人犯になってしまいます。
これはあくまでも極論なんで、程度の差はあるにせよ、世の中「ごめん」じゃ済まない事ってたくさんあると思うんです。私は今まで受けてきた大概の事は「ごめん」で済んじゃうんですけど、今抱えている問題はそう言えないんですよ。
「人の口に戸は建てられない」とか「一回、口に出したことは引っ込められない」とか言いますけど、その通りなんですよね。人に対する暴言や中傷は、その人を否定した事になると思うんです。言った方は「すっきり」するかもしれません。でも言われたほうは・・・しかもそれが事実無根だったら・・・


転んで骨折したり、交通事故にあったとしても、それは治療と時間の経過で治癒して行くと思うんですよ。でも心に受けた傷って治療もできなければ、時間が解決するわけじゃないんですよね。相手が二度と関わらない人だったら気にする必要はないんですけど、そうじゃない場合って大変です。
私は、他人を否定したり、中傷したりする事はもちろんのこと、嘘や脅かしを言ったり、自分の妄想で話を作ったりする事は理解出来ないんです。


人が人を非難する事が本当に出来るのでしょうか。
その人の経験し生きてきた過程を全く理解出来ない人に、その人の人生を評価する事ができるのだろうか。そんな事をして、いったい何になるんだろうか。
違う環境の中で生きてきた人と全てをさらけ出し、100%、150%理解しあうということは非常に難しいことなんじゃないかと思うんです。(たとえ同じ環境にいたとしても難しいですよね)
誰だって一長一短がある事も知ってます。でも人は失敗を悔やみ、経験して二度と同じことを繰り返さないから許されるんだと思います。私で言えば、多くの失敗や苦しみ、経験を重ね今に至っているのです。今の考え方があるのだと思います。
人は時には間違った事も、後悔する事もあります。でもそこで学ぶのです。だから人生死ぬまで勉強なのです。


「万人みな幸せになる権利を持っている」
その人の人生は誰の物でもなく、その人の物なのです。自分の人生の責任は自分で取るのです。だから人は、誰からの評価も、非難も、受ける必要はない、誰にも人が幸せになることを奪う権利は持ってないと思ってるんですよね。


話しが抽象的過ぎてわかりにくいよね。でも今はこういう風にしか書けないんです。
「マインドコントロール」って、一緒に長い時間いると一方の思想が移行しちゃって、当たり前のこと、常識的な事が見えなくなっちゃうのかな?


人が生きてきた過程って、年齢や地位や名誉、たとえ親子であっても非難や評価は出来ないんじゃないかな。
年は重ねていても、世間知らず非常識、無常識の人が最近たくさんいるんですよね。しかもそういう人に限って年齢をかさに威圧的に物事を言ったりするんですよ。


世の中どーしちゃったんでしょうね。
これって、どう思います???