記者会見 その2
昨日に引き続き、記者会見のこと書いてみようかな。
(朝青龍)
日本の国技である相撲。その中での最高峰が横綱なんだよね。
横綱以外の力士が成績不振で番付下がることは多々あるけど、横綱は番付が下がることはないの。横綱には引退しかないんだよね。
今回の、朝青龍問題・・・・これもまた違和感を感じるの。
でも、今回の違和感は、個人や相撲協会に対してというよりも、考え方、感じ方の違和感かな。
確かに朝青龍は、横綱という立場にありながら巡業を休み、帰国後サッカーをしていた。怪我のため巡業を休んだのにサッカーをしてた。これは、相撲ファンや相撲協会、国技に対する冒涜なのかもしれない。
決して許されることではないし、横綱としての品性をも疑われることなんだと思うの。
でもね、朝青龍は横綱ではあるけれど、日本人ではない。だから慣習や考え方、感じ方が違うのは仕方がないことなんだと思うの。
日本人は「義理人情」という感情を持っている。「あやまる」ことによって、けじめをつけたり、誠意を見せるということになるんじゃないのかな。日本人にとっては慣例化されている、当たり前のことなんだけど、それって世界でも通用することなのかな。
この前の記者会見後のワイドショーや、街頭インタビューで多かった感想が「あまり誠意を感じなかった」とか「口先だけで謝罪してる」っていうのが多かった。
でもね、いろいろ調べてみると、日本人とモンゴル人では「謝罪」の意味合いが違ってるみたいなの。
そもそも「悪いことをしたら謝る」ってことなんだけど、日本人は、それこそ誠意やけじめ的な部分が大きいんだよね。その後の結論や処罰が決まっていても謝罪は謝罪なわけ。
モンゴル人の考え方は、ちょっと違ってるみたいなの。
刑が確定する前に謝罪行為をする、そのことによって情状酌量されるらしい。だから刑が確定してからは謝罪しても意味がないって事らしいの。
そう考えると、今回の朝青龍の気持ちが少し理解できるような気がする。
相撲協会は「2場所出場停止、減俸30%4ヶ月、九州場所千秋楽までの謹慎」という処分を決定した。すでに処分が決定しているわけだから、今更謝罪しても意味がないことなんだと思ったのかもしれない。
それに対し、謝罪=けじめ、再スタートというのが日本人の典型的な考え方なんだと思うの。だから、執拗に謝罪会見を求めた世論。
この考え方の相違が、朝青龍自身が納得できず、精神的に追い込んでいったのかもしれない。産まれた国や、育った国の違いは、少なからずあるんじゃないかと思ったんだよね。
それと、日本人が考える「国技である相撲」
外国人力士が考える「スポーツである相撲」この点においても相違があると思うんだよね。